借金1114万、仲間との決別、睡眠3時間、月収80万、そしてCEOの失踪。全てを失った先で見つけたもの
2017年の12月、借金1114万円を抱えている僕はマレーシアの屋台で100円のミーゴレン(焼きそば)を朝、昼、晩と食べていた。
そして、横にいる仲間2人も同じものを食べている。
「あれ、どうしてこうなったんやっけ?、、、」
蛍のように光る緑色の文字
僕の社会人キャリアは「逃亡」から始まりました。
滋賀の公立校で育ち、特別に取り柄もなく、ただゲームとインターネットが好きだった子供でした。
その延長で、15歳の時に高専(高等専門学校)に進学。高専は就職率が非常に高いので、周囲から見れば「将来は安泰だね」と言われるザ・レールの上の人生でした。
しかし、当の本人にとっては、それが悪夢の入り口だったのです。
入学して半年。悪名高い最初のプログラミングの授業が訪れます。黒いコンソール画面に、緑色の文字が蛍のように光る、C言語の演習です。
printf("Hello, World!");という、挨拶代わりの定型文が、当時の僕には解読不能な古代の呪文にしか見えませんでした。
課題が出されてから1時間で、僕はプログラミングが心底嫌いになりました。

もともと僕は数学の方程式を解き明かすよりも、英語や歴史などのほうが好きな文系人間だったんです。
18歳のときには村上春樹の作品に心酔し、彼がおすすめとして挙げていたスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』やレイモンド・カーヴァーの短編集の翻訳版を、夢中で読み漁っていました。
そんな趣味から、いつしか原文を読みたくなって、本場で英語を学びたいと強く思うようになり、父親に真剣に留学を懇願したほどです。
ところが、
「うちにそんな余裕はない」
父親から放たれたそのストレートな一言で、僕の淡いアメリカ文学への旅は、成田空港にすらたどり着くことなく幕を閉じました。
結局、僕は高専を留年ギリギリで卒業。
「もう二度とあの黒い画面は見るものか」と固く心に誓い、東京にある技術系専門商社に営業職として就職します。
これが僕の人生最初の「逃亡」でした。
3000万で購入した地獄行きの片道切符
商社での日々は、新しいことばかりで刺激的でした。
学生時代に興味のあった英語をガチで勉強してTOEIC900点超えレベルになり、さらには営業成績も好調。

ただ、僕の心を徐々に、そして確実に蝕んでいく、2つの苦痛がありました。
ひとつは、東京の満員電車。
朝の京浜東北線、誰かの湿ったコートが顔に当たり、見知らぬ人のため息が耳元で聞こえる。
そんな空間に毎日往復2時間も身を置くことは、HSP気質である僕の精神をすり減らすのに十分でした。
そしてもうひとつは、どうしようもない学歴の壁による低い給料。
22歳の生意気盛りだった僕は、成果を出していた自負から「はよマネージャーにしてください!」と上司に詰め寄るも、
「いやいやほしくん、昇格っていうのはな、順番があるんだよ」
と、諭すような、それでいて有無を言わさないような口調であしらわれるばかり。
僕の野心は、年功序列という分厚い壁の前に、虚しく空回りしていました。
そんなフラストレーションが臨界点に達しようとしていた頃、人生の転機となる情報が僕の耳に入りました。
高専時代の友人に会った時、「いま俺FXで結構儲かってんで」と言ってきたのです。
会社に疲れていた僕は迷うことなくひと言。
「なんそれ?俺もやるわ」
そんな軽い気持ちで始めたFXで、まさかのビギナーズラックが炸裂しました。
クリック一つで給料の一ヶ月分が稼げてしまう。
この事実が僕の危険回避の脳内回路を、バチバチと火花を散らしてショートさせました。
「これ、英語みたいにガチで勉強したら、もっと稼げるんちゃう?」
そして、このあたりで会社を辞めることを決意しました。
「最悪、英語ができるんやから、英会話講師でもやれば何とかなるやろ」
商社時代必死に身につけた英語にセーフティネットのようなもの感じていました。
その後、しばらくして僕は禁断のアイデアを閃きます。
「FXは賭けるお金が多ければ多いほど、リターンもでかい。つまり…銀行からお金めっちゃ借りてトレードすれば、めちゃめちゃ稼げるんちゃう?」
今思えば、その思考回路は完全に破綻しています。

しかし、当時の僕は「この息苦しい毎日から抜け出したい」という一心で、正常な判断力を完全に失っていました。
もう一人の友人を巻き込み、銀行から合計3000万円を借り入れ、3人で会社を辞めてFXでの起業を決意したのです。
「俺ら、今日から自由や!これで世界獲ったる!なんでもできるやん!」
先ほどセーフティネットと言いましたが、ここまで来てしまうともう何もありません。
謎の無敵感と万能感に包まれた3人は、退職届を叩きつけたその足で、前から行きたかった北海道へ向かいました。
北海道の新鮮な空気の中、露天風呂に浸かりながら、僕たちは誓いました。
「よっしゃ、3000万借りたぞ!勝つしかないなぁ!」
湯気に包まれた顔は、希望と無謀で真っ赤になっていました。人生で最も自由で、そして言うまでもなく、最も愚かな瞬間だったと思います。
y=-2000万円
北海道から戻ったあとも、拠点を転々としながら、最終的には海外(マレーシア)に辿り着くまで僕たちの挑戦は続きました。
そして起業後のわずか3ヶ月で、なんと500万円もの利益が出ました。
このときレバレッジをかけまくって、僕たちは数億円もの大金を動かしていましたが、あんなにヒリつく経験は後にも先にもこの時だけでしょう。
「ほらな、言った通りやわ。才能あったんや、俺らには!」
僕たちは有頂天になり、夜の街に繰り出し、これまで我慢してきた欲望を湯水のように解放しました。
「利益でジープでも買うか?」
「いや、まずはタワマンの内見やろ」
そんなアホな会話を交わしていました。

しかし、ジェットコースターはここから垂直落下を開始します。
ある夜、友人の一人が、血の気の引いた顔で僕に告げました。
「…ごめん、500万、溶かした」
天国から地獄へ。その距離は、ワンクリック分しかありませんでした。
つい先日まで笑い声で満ちていた部屋は、通夜のように静まり返りました。プラス500万のはずだった口座は一瞬でゼロに。
さらに傷口を塞ごうと焦った無謀なトレードはことごとく裏目に出て、その翌週にはマイナス300万。
気付けば、あっという間に800万円の損失を抱えることになりました。
僕は当時FXからビットコインに変えて少額でトレードしていましたが、その利益での補填は不可能でした。
「これどうすんの?借金」
友人との間には、「お前のせいやで、ほんまなんしてんねん」という非難と疑心暗鬼が生まれ、修復不可能な亀裂が入りました。
お金は人間の本性を、そして友情の脆さを、いとも簡単に暴き出すのです。
マレーシア特有の湿度の高い熱帯の空気、スパイスと排気ガスの混じった匂い、借金による焦燥感。すべて覚えています。
息苦しい毎日から逃げてきたはずが、新たな、そしてお金という、より根源的なストレスに苛まれる毎日が待っていました。

最終的に生活費のマイナスも含めて抱えた損失は2000万円にまで膨れ上がっていました。
死がちらつく、人生のどん底とは、まさにこのことです。
その頃の生活は悲惨で、マレーシアの屋台で売っている1食100円ほどのインスタント麺(ミーゴレン)を毎日食べていました。
油と化学調味料の味が口いっぱいに広がるたび、「あれ、どうしてこうなったんやっけ?」と自問自答する毎日でした。
「自己破産か、稼ぐか、死ぬか」
返済まであと1年半くらいになり、それまでに毎月30万円以上は稼がないといけなくなりました。
「このままマレーシアにおったら、野垂れ死んでまう」
そう直感した僕は当時付き合っていた妻と共に、日本へ逃げ帰る決意をしました。
会社員時代に作ったクレジットカード3枚のキャッシング枠をすべて使い切り、東京に借りたのは家賃10万円ほどの6畳一間。
ここで、彼女との二人暮らしが始まりました。当然、豪華な家具などを買う余裕は一切ありません。
部屋にはシングルベッドが一つだけ。
毎晩、二人で体をエビのように丸く縮こませて眠りましたが、あまりの窮屈さに体が悲鳴をあげ、最終的には腰を痛めました。
隣の部屋のテレビの笑い声が聞こえてくるたび、自分の境遇がどうしようもなく惨めでなりませんでした。

借金返済のために月30万円を安定的に稼げる職業を調べ、出た結論はプログラマーになることでした。
実はFXで稼いでいた時代にトレードを自動化しようとして、Pythonのボット開発にチャレンジしたことがありました。
「プログラミングで一発逆転するしかないか…」
あれだけ嫌い、逃げ出したはずのプログラミングに、僕は再び向き合わざるを得ない状況に追い込まれていました。
それは希望に満ちた再挑戦などでは断じてなく、「自己破産か、稼ぐか、死ぬか」を迫られた末の、文字通り”やるしかない”選択だったのです。
このあたりで僕は二つの顔を持つ生活を始めます。
一つは、オンライン英会話の講師。
真夏の蒸し風呂のようなベッドの上に陣取り、汗をだらだら流しながら、ヘッドセットをつけ、画面の向こうの見知らぬ生徒に必死で満面の笑顔を作って英語を教えていました。
「Hello!My name is Hoshi!Nice to meet you!」
そしてもう一つが、孤独なプログラム開発者としての顔。
その頃、有名な決済サービスがあるキャンペーンをしていました。支払いをすると20%の確率でポイントが返ってくる。
この「期待値プラス」のデータを見つけた僕は、「Amazonギフト券をプログラムで無限に買い続ければ、理論上、資産は増える!」と考え、購入を自動化するPythonスクリプトを個人開発。
冷たい光を放つターミナルの画面に向かい、ひたすらAmazonギフト券を買い続け、月数万円を稼ぎました。
借金まみれだった当時の僕はお金になることはなんでもやっていました。
人間味あふれる「ハロー!」と、無機質なボット開発。その奇妙なコントラストが、当時の僕のすべてでした。
y = ax² - 2000万円
帰国してから続けていた就活。商社→FXによる謎のブランク→就活ですから、どこの企業もそう簡単には雇ってくれません。
毎日毎日いろんな会社に足を運んで話してを繰り返し、100社以上は行ったと思います。
そんな中、幸運にもあるAIスタートアップにインターンとして拾ってもらえました。
CTO曰く「高専卒なのにIELTSもTOEICもスコアが高くて、面白そう」という理由でした。
まさかの英語というスキルがセーフティーネットとして機能したわけです。

そして僕の人生の歯車は、ここから猛烈な勢いで回転を始めます。
インターンとして入社してからは、周りの優秀なエンジニアの方々に質問しまくり、土日は彼らから推薦された技術書を何冊も読み漁りました。
実務で使えるAIやプログラミングの知識を、乾いたスポンジが水を吸うように、文字通り貪り尽くしました。
そして、周りの人には常に「仕事ください!何でもやります!死ぬ気でやります!」と言い続けていました。
すると不思議と声がかかり始めます。
「ほしくん、2ヶ月納品のiPadアプリ開発の案件があるんだけどどう?」
「やります!」
仕事が欲しすぎて反射的にそう答えたものの、iPadアプリの開発なんてやったこともありませんでした。
SwiftUIという言語にいたっては、まともに書いたことすらなかったのです。
勢いで請けてしまった案件。
その夜、一人でパソコンに向き合った時、本当の恐怖が襲いかかってきました。
「これを2ヶ月で納品するなんて、絶対に無理や…」
真っ暗な部屋で、モニターの光だけが、僕の絶望に満ちた顔を照らしていました。
終わった。
やってしまった。
クライアントの顔、失う信用、そして膨れ上がる借金。
最悪のシナリオが頭の中をぐるぐると駆け巡ります。
「ああ、勢いだけでいっちまった…」
後悔だけが、波のように押し寄せてきました。
そんな中、藁にもすがる思いで、僕はTwitter(現X)の検索窓に必死でキーワードを打ち込んでいました。
「SwiftUI エンジニア」
その中で、一人のフリーランスエンジニアの方の発信が目に留まったのです。
僕は震える手でDMを送りました。
「初めまして。ほしといいます。(中略)〜という理由で崖っぷちなので、どうか教えてください」
こうして僕は、1時間5,000円で彼の時間を買うことに成功しました。
彼は、僕が暗闇の中で必死に探し求めていた、たった一本の命綱でした。
「ほしくん、落ち着いて。君の場合、問題は技術力だけじゃない。時間の使い方、価値の見積もり方、全部まちがってる。まず、この案件を因数分解しよう」
彼の言葉は、混乱した僕の頭をゆっくりと整理してくれました。
一人で抱え込んでいたら、きっと僕はパニックのまま自滅していたでしょう。
しかし、「いつでも聞ける人がいる」という安心感は、僕の心に、絶望的な状況に立ち向かうための小さな勇気を灯してくれたのです。
こうして、そのころ受けていたAI開発の常駐案件(税込55万円)と、制御不能だったはずのiPadアプリ開発(税込66万円)。
借金1114万円を背負った青年は、この2つの巨大案件になんとか食らいついていきました。
日中は鬼のような形相とスピードで常駐先の仕事を片付け、昼休みは休憩所の片隅でイヤホンをして外界をシャットアウトし、必死にiPadアプリのコードを書く。
帰宅後も深夜3時まで、またコードを書き、技術的に分からない部分は師匠に聞きなんとか乗り越えていく。
1日の平均睡眠時間は約3時間。
眠りたいのに脳が興奮して勝手にコードを書き始め、目を閉じると天井にSwiftUIの構文が映画のエンドロールのように浮かび上がるように。

ストレスMAXの環境によって僕は深刻な不眠症となり、身も心もボロボロになっていました。
しかし、その地獄と引き換えに、僕のスキルと経験値は爆発的に向上し、最終的には2つの案件を無事終えることができました。
そして当然のように、時間単価もそれに追随してきたのです。
師匠に相談しながら交渉方法や時間単価を見直し、最終的には1つの案件だけで80万円以上を安定して稼げるようになっていました。
「知っている人から学ぶこと」
これがいかに大事か身をもって知ることができました。
きっとFXでの失敗も誰かに教えてもらうことがあれば、多大な損失も、大きな時間のロスも避けることができたんじゃないかなと思っています。
インターン開始からおよそ1年。
師匠との出会いによって僕の人生のグラフは、まるで二次関数y = ax² - 2000万円を描くように、自分でも信じられないほどの急激な上昇を遂げたのです。

海外就職とCEOの失踪
借金の大部分をこの数ヶ月で返済し、僕は精神的な足枷から徐々に解放されつつありました。
しかし、それと同時に危機感も感じていました。
FXで起業した時、利益が出たことに満足して成長を怠り、大失敗した経験があったからです。
そこで、もっと成長するために海外就職を経験してみたいという思いから、ITの本場シリコンバレーに行こうと考えました。
その手始めとして、ビザが比較的取りやすいカナダでの就職を目指し、半年かけて準備を進めていました。
ただ、結果はNO。
その時、結婚していたカザフスタン人の妻のビザが不承認になったのです。
かなり絶望しましたが、借金1114万円に比べると屁でもないことでした。
そこで妻の国籍でもビザが取りやすいヨーロッパにターゲットを絞り、片っ端から履歴書を送りました。

そして、ついにオランダのスタートアップからオファーをもらい移住。
美しい街並み、ワークライフバランスを重視する文化、自由な雰囲気。
念願の海外就職を達成してからは、まさに天国。

しかし、僕の心は現状維持を良しとしませんでした。
「また何か新しいことに挑戦したい」
「自分で事業をやりたい」
どん底で生まれたハングリー精神は、安住を断固として拒否したのです。
そんな時、とある誘いが舞い込みます。
日本にいた頃の元同僚から「日本でSaaS開発のスタートアップをやるから、CTO(最高技術責任者)をやってほしい」と。
僕は日本のスタートアップを選んで帰国し、CTOに就任しました。
人生は一度きり。
やりたいことを後回しにして後悔だけはしたくなかった。
CTOとして、チームビルディング、進捗管理、プロダクト設計、採用など、幅広く業務に携わりました。
創業から半年ほどは、役員間での意識合わせもスムーズで、非常に順調でした。
しかし、どうやら僕の人生の脚本家は、平凡なハッピーエンドを許してくれないようでした。
会社を立ち上げて1年後、なんと、僕が全身全霊で信じたCEOが何の前ぶれもなく失踪したのです。
はい、突然、社長が消えました。
今も連絡がとれていないため、理由は分かりません。
僕がやっとの想いで辿り着いたはずの場所は、またしても音を立てて崩れ去ったのです。
希望があるところには必ず試練があるものだから
ここまでくると「一回お祓いにでも行ったほうがいいんじゃない?w」と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし不思議なことに、この時の僕が感じたのは絶望よりも、むしろ一種の「確信」に近い感情でした。
なぜなら、僕の人生のコンパスは、すでにはっきりと次の目的地を指し示していたからです。
きっかけは、CEOが失踪する少し前のこと。
僕のジェットコースターのような人生を知った高専時代の後輩や知人から、声をかけてもらう機会が増えていました。
「いまの仕事がきつくて、ほしみたいに新しいことにチャレンジしたいねんけど、、、」
「最近無職になったんですけど、ほしさんみたいになりたいです!」
そこで自分が地獄を見ながら泥臭く身につけた知識やスキルを、彼らに体系立てて共有してみました。
かつて、暗闇の中で僕を救ってくれたTwitterの“師匠”を思い出しながら。
僕を導いてくれた師匠もまた、数多くの試行錯誤と遠回りをしていました。
だからこそ、彼の言葉には、机上の空論ではない圧倒的な説得力がありました。
初心者がどこでつまずき、何に苦しむのかを、彼は自分の痛みとして知っていたのです。
そのおかげで、僕は最短距離でスキルを身につけることができました。
「今度は、僕がその立場になる番なんや」
そう直感しました。
僕ほど盛大に失敗し、遠回りし、その原因を執拗に分析してきた人間はそういないでしょう。
だからこそ、僕の経験は、これから挑戦する人にとって、最高の近道になり得る。
そう確信したのです。
教え始めた未経験の若者たちは、かつての自分を見るようにスキルをどんどん吸収し、次々と案件を獲得していきました。
「ほしさんのおかげで、Pythonエンジニアとして独立できました!」
「冗談抜きで、本当に人生が変わりました」
僕が教えた3人の未経験者がフリーランスとして独立したり、行きたい会社に転職したりする中で、直接かけてもらったこの言葉が、これまで稼いできたどんな金銭よりも、僕の心を満たしていきました。

これこそが、僕が本当にやりたかったことなんだと。
僕が味わった無数の失敗、遠回り、そして地獄のような苦しみが、誰かの人生をショートカットさせ、飛躍させるための最高の教材になる。
自分が経験した地獄に、ようやく意味が見いだせた瞬間でした。
そうして僕はプログラミング(Python)を専門に教える会社を立ち上げることにしました。
振り返れば、僕の人生は見事なまでの失敗と逃亡の連続です。
しかし、商社で学んだビジネスの基礎、FXで培ったリスク管理思考、マレーシアでの極限生活で得たサバイバル能力、そして何より、借金返済中の地獄のような苦しみのすべてが、今の僕の血肉となり、独自の強みとなっています。
自分の失敗体験をミクロレベルまで具体的に分解し、再現可能な「学び」として体系化することで、初めて人に届けられる価値が生まれることを知りました。
「やるしかない状況は、自分でも知らなかった可能性を解放してくれる、最強のスイッチだ」
これが、僕が1114万円の借金を背負って学んだ、人生におけるひとつの真実です。
もしあなたが今、何かに迷い、足踏みしているなら、あえて自分を「やるしかない」と覚悟を決めざるを得ない状況に、崖っぷちに突き落としてみるのもいいかもしれません。
そこから見える景色、そしてそこから始まる物語は、きっとあなたの想像を遥かに超えてエキサイティングで、かけがえのないものになるはずです。
僕の人生のコードはバグだらけでした。
でも、もがき苦しみながらがんばったら少しずつ動くプログラムになっていきました。
「夢を夢で終わらせない」人生を目指して、これからも僕は人生という名の「プログラミング」を続けます。
この物語が、あなたの挑戦の狼煙になることを願って。
print("Hello, Your New World!")さいごに
もしあなたがプログラミングに関してなにか悩んでいることがあれば、僕の人生が役に立てるかもしれません。
・プログラミングで副業したい
・プログラマーとして転職したい
・仕事の業務効率化したい
など人それぞれいろんな悩みや希望があると思います。
ここまで僕のエピソードに興味を持って読んでいただいたあなたが、プログラミングに関してなにか悩んでいるのなら、以下のLINEで相談に対応していますので連絡してください。
お悩みはこちらから。
