土地評価のブログ

不動産鑑定士内藤武美の日々

雷電2

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2022.9.16(牧場から)

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雷電が弟子入りした時は、どのような時代だったのでしょうか。

文献『力士雷電』によると、次のような記述があります。

『力士雷電』より引用

天明の大凶作下での生活ののち、のちに雷電となる太郎吉が、石尊道場に入った天明元年(1781年、数え15歳)は、米価が日増しに上がり、物情騒然の時代に入っていた。(略)

二年には、農民一揆が三河(愛知県)、伊勢(三重県)、和泉(大阪府)にも飛び火し、七月には小田原大地震が人の心まで揺さぶった。

三年に入ると、飢饉(ききん)は全国に及び、この年より五年間を、世に“天明の大飢饉”と呼ぶ。五月頃より鳴動を始めていた浅間山が、七月に入って大噴火、溶岩は36か所を襲った。死者は2万人とも2万5千人ともいわれる空前の惨状を現出したのだ。現在、観光客で賑わう“鬼押出し”は、その折の溶岩がつくり出した、悪魔の表情である。

──このときの降灰は軽井沢で四、五尺、松井田町で二尺、高崎で一尺四寸、前橋で五、六寸、江戸でも一寸余りあったというから、大きく東南に流れたのを文献は物語る。

天明元年から3年にかけて、本当に大変な時代だったようです。浅間山の被害は軽井沢、およびその南東側で特に多かったことが分かります。


<当時の降灰量(現代の単位に換算)>

  • 軽井沢町: 1.2m ~ 1.5m

  • 群馬県松井田町: 60cm

  • 群馬県高崎市: 42cm

  • 群馬県前橋市: 15cm ~ 18cm

  • 東京(江戸): 3cm

また、『御代田町誌 歴史編上』には下記のような説明があります。

『御代田町誌 歴史編上』より引用

縄文時代ではおよそ8200年前、5400年前、4500年前に軽石を噴出する噴火を起こし、古墳時代では四世紀中ごろと天武朝の685年にも噴火を起こしたらしい。

685年の噴火は『日本書紀』にある「信濃国に灰が降り草木がみな枯れる」という記載から、浅間の噴火によるものと考えられている。

続いて平安時代の天仁元(1108)年・大治三(1128)年、鎌倉時代の弘安四(1281)年と噴火が記録され、その後、江戸時代天明三(1783)年の噴火まで、小規模な噴火は続いていたらしたぃ

 雷電の入門した天明という時期はたいへんだったことがよくわかりました。

<引用・参考文献>

小島貞二『力士雷電(上)(下)』1998年

『御代田町誌 歴史編(上)』pp.440-443、平成10(1998)年

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