トキメキのトルコ。走り続けた10日間 53 - ヒエラポリス考古学博物館①(2025年1月14日/6日め)

2025年1月14日 ヒエラポリス考古学博物館で。(トルコ・ヒエラポリス)
1月14日(火)- 6日め
パムッカレの見学を終えて、次は
お待ちかねだったヒエラポリス遺跡です。
ここからは自由行動で、
各自が勝手に遺跡を歩いてくるように、
と言われました。
時間は60分。
私たちにとっては
60分は長いとは言えませんが、😓
団体行動なのでしかたありません。
夫とふたりで、
「いそげ~」
とばかりに走り出しました。
あたりには遺跡がごろごろしているのですが、こんなのは序の口。ここで立ち止まっているヒマはありません。

すぐに、まとまった遺跡が見え始めました。



アーチが並んだ部分も残っています。

【ヒエラポリス遺跡】
ヒエラポリスは、紀元前190年にペルガモン王国のエウメネス2世によって建設された都市です。2世紀には、ローマ帝国の支配下に置かれました。それ以後、パムッカレから湧き出る温泉を利用し、ローマ帝国の保養地として繁栄しました。
この地ではたびたび地震が起こり、被害を受けましたが、その都度、ローマ帝国の庇護のもとに復興していました。しかし東ローマ帝国に支配されるようになり、セルジューク朝が攻め込んでくると、ヒエラポリスは滅亡へと向かいます。そして致命的打撃となったのが、1354年の大地震で、都市は崩壊し、廃墟となってしまいました。
このヒエラポリスには、ローマ帝国時代の遺跡が多く残されています。ローマ式の円形劇場は、2世紀にハドリアヌス帝によって建てられたもので、15000人から20000人を収容できたそうです。保存状態も良く、当時のローマの勢いを感じることができます。また、アポロ神殿や浴場の跡も残っています。
ペルガモン王国時代はヘレニズム文化の元に栄え、以後ローマ文化、ビザンチン文化に触れてきたヒエラポリスには、これらの文化が残っている場所があります。そのひとつが、城門の外にある墓所・ネクロポリス(死者の町という意味)で、様々な時代様式の墓が、現在も残っています。
周囲に柵をめぐらしたエリアに着きました。

ここは、「ヒエラポリス考古学博物館」です。

【ヒエラポリス考古学博物館 】
2世紀に建造された南大浴場を利用した博物館です。ヒエラポリスから出土した彫像や石棺などを展示しています。

ここで、1時間しかないのに、
博物館に入るか、
それとも遺跡を優先するか、
…という決断にせまられました。
でも夫は、博物館が大好き。
私も、別に異存はなかったので、
まずはとにかく駆け足で、
博物館を見学していくことに…。
入場料を払って、奥の入り口に進みました。

1900年前に建造された南大浴場が、現在は博物館になっています。

ここには、棺と像を展示しています。

中に入るといきなりこんな感じです。右側の壁に沿って、遺跡から発見された棺が並んでいました。

壁に設けられたアーチのようなスペースにも展示品が置いてあります。ひとつひとつを見ていると、時間がいくらあっても足りなさそう。😅

さらに奥へと、展示が続いています。2世紀に建造された南大浴場を利用しているだけあって、博物館の内部は、そのまま遺跡エリアに入ったかのようでした。

上の写真の右端に写っている棺です。

その左隣り。花輪で飾られた、大理石の石棺(Sarcophagus with garland)。紀元2世紀初め頃、ローマ帝国時代のものです。


さらにその左隣りの棺。


少し奥まったところには、ひときわ大きな棺が…。彫刻がすばらしいです!

上の棺の裏側です。

棺がずらりと並んでいて、すごい迫力でした。

まだ入り口を入ったばかりなんですが、
あまりにも見ごたえがあり、
先に進めません。🤣
博物館を駆け足で見ていく
…はずだったんですけどね。😅
いまここ。😊

往時のヒエラポリスです。(画像は、タクジローの日本全国お城めぐりより)
(つづく)